南海ホークスをクビに。落ち込むノムさんを救った「なんとかなるわよ」
野村の哲学ノート③
■最も印象に残っている「なんとかなるわよ」
沙知代が口にした「なんとかなるわよ」という言葉で、最も印象に残っているのが、私が南海ホークスの監督を解任されたときのことだ。
1977年、プレーイング・マネージャーとして8年目となるシーズンの終盤、公式戦がまだ2試合残っている段階で、球団からクビ宣告を受けたのだ。チームは、前年に続いてパ・リーグ2位という結果を残していたので、特に成績が低迷していたというわけではなかった。
では、原因は何かというと、後に再婚することになる女性、旧姓伊東沙知代との交際だった。
当時の私は、結婚していた妻との関係がすでに破綻し、離婚を前提とした別居生活を送っていた。沙知代と出会ったから家庭を捨てたわけでは決してなかったのだが、沙知代と暮らしていた大阪の豊中にあるマンションに泥棒が入ったことがきっかけとなり、不倫関係が明るみになった。
スポーツ新聞をはじめとしたマスコミからは、仮にもホークスの指揮を執っている野村克也の愛人問題ということで、さんざん叩かれた。ホークスの関係者の間では既成事実だったので、今さら驚くほどのことではなかったのだが、やはりプロ野球は人気商売である。スキャンダルに対する世間の目は厳しかった。
愛人がコーチ会議に出席した、愛人が打順を決めている、愛人が采配を振るったなど、事実無根の報道も多かったが、私と沙知代へのバッシングはなかなか止むことはなかった。次第に球団内部からも批判が出始め、プレーにも悪影響を及ぼしかねない事態へと発展していった。